| 1848年 |
6月7日、パリに生まれる。 |
| 1849年(1歳) |
ペルーへ渡航中、父が急死、リマの大伯父の許で育つ。 |
| 1855年(7歳) |
フランスに帰国。 |
| 1865年(17歳) |
商船の見習い水夫となる。航海中に母死去。 |
| 1868年(20歳) |
兵役、三等水夫となる。 |
| 1871年(23歳) |
パリの株式仲買商に勤める。 |
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後見人の娘に教えられ、余暇に絵を描き始める。 |
| 1873年(25歳) |
デンマーク人メット・ガットと結婚。 |
| 1874年(26歳) |
アカデミー・コラロッシの夜間部に通う。 |
| 1876年(28歳) |
サロンに初入選。絵画を収集しはじめる。 |
| 1877年(29歳) |
ピサロを知る。後にピサロを介してセザンヌ、ドガを知る。 |
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この頃、家主の彫刻家から彫刻を習う。 |
| 1879年(31歳) |
ピサロにすすめられ、第4回印象派展に出品、以後出品を続ける。 |
| 1881年(33歳) |
ピサロのもとでセザンヌに会う。 |
| 1883年(35歳) |
株式取引所をやめ、生涯つづく貧困がはじまる。 |
| 1886年(38歳) |
ブルターニュのポン=タヴァンに滞在。パリでゴッホに会う。 |
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この頃、作陶を始める。 |
| 1887年(39歳) |
パナマへ行った後、マルティニック島で絵を描く。 |
| 1888年(40歳) |
2度目のポン=タヴァン滞在。「綜合主義」の理論を確立する。 |
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10月、アルルのゴッホのもとへ行く。 |
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この頃《アリスカンの並木路、アルル》を描く。 |
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12月、ゴッホの耳切り事件の後、パリに戻る。 |
| 1889年(41歳) |
6月、パリ万国博覧会のカフェで「印象派および綜合主義」展を開いた後、 |
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ポン=タヴァンとル・プールデュに滞在。 |
| 1890年(42歳) |
象徴主義者たちと親交する。 |
| 1891年(43歳) |
4月、「楽園」を求めてタヒチに発つ。6月に到着。 |
| 1893年(45歳) |
フランスに戻る。パリでタヒチ作品の個展を開く。 |
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原始生活を理想化したタヒチ滞在記『ノア・ノア』に着手。 |
| 1895年(47歳) |
二度と戻らない決意でタヒチに行く。 |
| 1897年(48歳) |
長女アリーヌの訃報を受ける。大作《われわれは何処から来たのか[・・・]》 |
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を描いた後、自殺未遂。 |
| 1901年(53歳) |
マルケサス諸島のヒヴァ・オア島に移住。生活難と健康状態悪化。 |
| 1903年(54歳) |
5月8日、心臓発作のため死去。 |
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サロン・ドートンヌに追悼展が併設される。 |