《アリスカンの並木路、アルル》
1888年10月末
油彩・キャンヴァス
72.5×91.5cm
   
  ラテン語で極楽の語源を持つアリスカンは、
アルル南東にある、もと古代異教徒の墓地で、
現在アルルの名所の1つです。
ローマ時代の石棺が並ぶこの並木をゴッホも描きました。
アルルでの共同生活の初めに描かれた大変興味深い作品です。
 
   
 
1848年 6月7日、パリに生まれる。
1849年(1歳) ペルーへ渡航中、父が急死、リマの大伯父の許で育つ。
1855年(7歳) フランスに帰国。
1865年(17歳) 商船の見習い水夫となる。航海中に母死去。
1868年(20歳) 兵役、三等水夫となる。
1871年(23歳) パリの株式仲買商に勤める。
  後見人の娘に教えられ、余暇に絵を描き始める。
1873年(25歳) デンマーク人メット・ガットと結婚。
1874年(26歳) アカデミー・コラロッシの夜間部に通う。
1876年(28歳) サロンに初入選。絵画を収集しはじめる。
1877年(29歳) ピサロを知る。後にピサロを介してセザンヌ、ドガを知る。
  この頃、家主の彫刻家から彫刻を習う。
1879年(31歳) ピサロにすすめられ、第4回印象派展に出品、以後出品を続ける。
1881年(33歳) ピサロのもとでセザンヌに会う。
1883年(35歳) 株式取引所をやめ、生涯つづく貧困がはじまる。
1886年(38歳) ブルターニュのポン=タヴァンに滞在。パリでゴッホに会う。
  この頃、作陶を始める。
1887年(39歳) パナマへ行った後、マルティニック島で絵を描く。
1888年(40歳) 2度目のポン=タヴァン滞在。「綜合主義」の理論を確立する。
   
  10月、アルルのゴッホのもとへ行く。
  この頃《アリスカンの並木路、アルル》を描く。
  12月、ゴッホの耳切り事件の後、パリに戻る。
1889年(41歳) 6月、パリ万国博覧会のカフェで「印象派および綜合主義」展を開いた後、
  ポン=タヴァンとル・プールデュに滞在。
1890年(42歳) 象徴主義者たちと親交する。
1891年(43歳) 4月、「楽園」を求めてタヒチに発つ。6月に到着。
1893年(45歳) フランスに戻る。パリでタヒチ作品の個展を開く。
  原始生活を理想化したタヒチ滞在記『ノア・ノア』に着手。
1895年(47歳) 二度と戻らない決意でタヒチに行く。
1897年(48歳) 長女アリーヌの訃報を受ける。大作《われわれは何処から来たのか[・・・]》
  を描いた後、自殺未遂。
1901年(53歳) マルケサス諸島のヒヴァ・オア島に移住。生活難と健康状態悪化。
1903年(54歳) 5月8日、心臓発作のため死去。
  サロン・ドートンヌに追悼展が併設される。
   
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