父親の手伝いから始めた
ラーメン店は
25年を経て地元の人気店へ
「大変でも、同じ夢を持つスタッフのおかげで
今のお店があり、自分がいる」
埼玉県の狭山市を中心に、県下で3店舗の直営店と1店のフランチャイズ店を有する人気ラーメン店「チャーシュー力」。人気の理由はラーメンの味はもちろん、それ以上にラーメンの上の厚くて柔らかい迫力満点のチャーシューです。チャーシューを生み出したのは代表取締役の溝呂木健一氏。ここまでの人気店になったのは、「地元で認められるためにどんなときでも毎日お店を開け続けたこと、そして同じ夢を持って働いてくれているスタッフのおかげ」と話してくれました。
父と揉めながらも、独特のチャーシューを生み出し看板メニューに
父親が違うエリアでラーメン店を営んでいたとき、溝呂木社長は当時コンビニエンスストアの店長でした。その後、父親のラーメン店を手伝うことに。ラーメンのおいしいお店はたくさんある、だからこそ、ラーメン以外にも特徴がなくてはと考えたのが、柔らかくて大きくておいしい、特大のチャーシューでした。プロレスが好きだったことと、当時人気のあったプロレス選手にあやかり、店名は「チャーシュー力」に。その名前は賛否両論いただきました。さらに、ラーメンの基本は父親に教えてもらうも、父親は透き通るスープ、溝呂木社長は白濁したスープと、真逆のものを作って揉めたことも一度や二度ではなかったそうです。
「結局自分の意見を押し通させてもらいました。25年前に父の店を手伝い始めて、このスタイルにたどり着くまで1年かかりましたね。最終的には、自分がどうしても白濁したスープにこだわったことと、その味を評価してくれるお客さまがいたことで、ここまで来られました。こだわりのチャーシューは、もともと国産の豚バラ肉を丸2日間かけて、醤油と香味野菜、とんこつスープを使いながら煮豚にしています。ラーメンの上にのせるまでには、丸3日はかかっています。このこだわりは当時からこれまで、変わることなく続いています」
1時間に1人だったお客さまが、1年後には1日100人以上までに
溝呂木社長にとって、お店を出して最初の1年間が最も苦しい時期でした。
「日中から21時までは父親がお店をやり、私はコンビニの仕事が終わった後にお店に行き、22時〜2時までラーメンを作っていました。お客さまが来ない日が続いたときは辛かったですね。1時間にたった1人のお客さましかこなかったこともあります。それでも、台風の日でも雪の日でも、誰もいなくても煌々と電気をつけて、店を開けていました。『こんな日でもこんな時間でも店、開いているんだ』と覗き込んでいく人もいました。最初の頃は悔しい思いもたくさんしました。ただ、開け続けることに意味があって、この時間開いている、ということを地元の人に知ってもらえたことで、徐々にお客さまの数が増えてきました」
22時から2時の間に最初はゼロだったお客さまが、1年たった頃には100人以上来てくれるようになったのです。毎日お店を開けたことが仕事の勝機になりました。それを続けた理由をうかがうと「プロレスに置き換えて考えると、あの人たちの強靭な肉体は急にできたわけではなく、日頃の訓練、運動という日々の努力でできあがっています。それと同じように、うちのラーメン店も、地道に続けることで、徐々に地元に浸透していくことができたのではないかと思っています」
そこからは深夜でもお客さまがいる風景が当たり前になりました。最初の頃は、お客さまがいないと恥ずかしいので、長くいてもらうために、おもしろい漫画本をおいて、漫画本を読みに来てもらえるだけでもいいという発想で店作りをしていたそうです。
「2022年、3月にリニューアルオープンした狭山店でも、初心を忘れないように漫画本を置いています。ラーメンを食べたらすぐにお店を出なくても、ゆっくり漫画でも読みながら長くいてください。テーブルにも電源をつけていますので、携帯の充電でもしてもらいながら、ゆっくり食べていただきたいです」
コミュニケーションを取ることで、同じ夢を持つ同志たちとの絆を強められるように
お店が軌道にのると今度は新たな悩みに直面することになりました。一番頭を悩ませたのが働くスタッフ、人材です。苦労はスタッフの数の確保、スタッフの定着率、夢を持った同志と呼べる人に出会えない苦労はずっと続いていました。それらの問題を解決するために、これまで心がけていたのは、スタッフとのコミュニケーションでした。
「仕事が終わった後に飲みに行くとか、年に数回の旅行に一緒に行くとか。両親、妻、子供2人に、スタッフが一緒になって旅行に行く、というのが最初でしたね。場所は伊東温泉。それから毎年行くようになりました。店舗もまるでオリンピックのように、着々と4年ごとに1店舗ずつ増え、スタッフも40~50人になってからは、ゴールドコーストやラスベガスなどの海外旅行が主になりました。ラスベガスにはスタッフ全員ビジネスクラスで行きました。というのも、スタッフ全員に夢を持ってやってもらいたい。大変な分、いいこともいっぱいあるよという思いを伝えたくて、これまで直営3店、フランチャイズ1店をやってこられたのだと思っています」
そんなスタッフ思いの溝呂木社長が次に考えたのが、保険でした。
ボーナスに加え、より安心できる職場環境を整えることでスタッフをサポート
「うちのラーメン店は深夜まで開けているんです。スタッフは稼ぎたい人が多く、そのためにどうしようかと思ったときに、夜中にスタッフが働ける場となるように、店を開けるのがよいと思ったんですよね。と同時に、店としては長時間やることで、いつ行っても空いている安心感のある店作りにつながります。それは私がコンビニで働いていたときの考え方が活かせていると思います。そんな環境がきっかけとなって、スタッフが安心して働けるように保険を考えました。保険に入っておくことで、何かあったときに入院費などを補償してくれるので、安心できます。ボーナスを出すのもひとつですが、入院補償がついた保険ということで、スタッフに話したら、満面の笑顔でそれがいいと言ってくれました。安心感があるようです。うちの店の特性を把握してくれていた保険の代理店さんから良いタイミングで勧めてもらえたのもありがたいですね」
自分が幸せで、満足できる生活ができているからこそ、スタッフへのサポートやケアもより充実させたいと溝呂木社長は話します。将来的には店舗の拡大も考えているけれど、ただ、むやみに増やしたくない、今は一つずつ確実にやっていきたいそうです。
「最近、50才でサーフィンを始めました。それもすべて仕事あっての遊びなんですけど。今それができているのも、同じ夢を持って働いてくれているスタッフのおかげです。これまで父親から言われた『1日は一生なり』という言葉を胸にやってきました。これからも明日死んでもいい、という思いで仕事も遊びも精一杯やっていきたいです」
溝呂木 健一氏
高校卒業後プログラマーの仕事に就きながら、1年後にアルバイトをしていたコンビニエンスストアに転職。その後6年間は店長として奮闘する日々を送り、商売について学ぶ。
25歳で父親とラーメン店を開業し、27歳で法人化。29歳には2社目の会社を起業し、現在に至る。
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